10. Contrasting Austrians: Mozart, Bruckner
◇モーツァルト/ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲 変ホ長調 K.364
【5】第1楽章 13:27
【6】第2楽章 11:34
【7】第3楽章 6:22(拍手)
◇ブルックナー/交響曲第4番 変ホ長調
【1】第1楽章 18:52
【2】第2楽章 16:41
【3】第3楽章 11:15
【4】第4楽章 21:27(拍手)
指揮/クリストフ・フォン・ドホナーニ
Vn/Glenn Dicterow
Va/Cynthia Phelps
録音/2009年12月
Total Time/100分
🎶
今回は変ホ長調つながりの2曲。指揮のドホナーニは1929年生まれの88歳(!)。日本でいうなら昭和4年生まれである。ブロムシュテットのように指揮者というより学者然とした風貌から穏やかで知的な雰囲気を漂わせる指揮者だが、ご存知の通り父親や叔父をナチスによって処刑されたという苛烈な体験を持つ方でもある。
そういう経験をしてるからこそ、作られる音楽もそれだけの重みを持つ中身のあるものにちがいない…というのは、全く音楽とは関係のない誠に都合の良すぎる考え方であるのは当然である。しかし、そんな壮絶な体験をした人間と、そうでない人間(自分も含めて)では、やっぱり作られる音楽の深さは同じではないと心のどこかで思いたい自分もいる。
正直に言うと、自分はドホナーニの音楽はほぼ聴いたことがないに等しい。でも、我々の世代には、クリーブランド管の音楽監督を長年務めていたイメージが強く、名前だけは昔からよく聞いていた指揮者の一人である。ドイツ系の指揮者でも、サヴァリッシュやシュタインなんかは、日本とも関係が深かったからよく聴いたけど、ドホナーニやマズアなんかは聴く機会がたまたま無かっただけって感じ。
さて、ようやくこのアルバムの話になるのだが、どうにも気が重い…。なぜなら、ブルックナーだからである。そうなんです。私にはブルックナーの良さが全くわからないんです。ブルックナーを聴いて感動したことが一度も無いんです。
誤解しないでほしいのですが、「嫌い」とかじゃないんです。「嫌い」というのは、多分ブルックナーの音楽の本質が理解できていて、その上で「自分の好みではありません」ということである。でも、自分の場合は「わからない」んです。つまり、「わかる」ようになりたいから何度もブルックナーにチャレンジするんだけど、そのたびごとに結局「ああ…今回もわからなかった」となるのです。
ブルックナーのファンがよくおっしゃるのは、「チェリのブルックナーは最高だな」とか「いやいや、やっぱりヴァントだよ」とか、「朝比奈も捨て難いな」とか…。ホントにしょーもない話だが、そういう話ができる人を自分は心の底からうらやましいと思う。自分だって、ずっとクラシック音楽を聴いてきた人間である。そういうことが言えるようにやっぱりなりたい。
しかし、自分のようなクラシック音楽ファンは一定数いるようで、ネットを叩いても同じような悩み(?)を持つ人は多いらしい。いったい、何がダメなのか?。
①なんだか「わー!」って大騒ぎして、静かになったと思ったら、そしたらまた「わー!」って大騒ぎして静かになって…という曲調の繰り返しが退屈(言い方に悪意を感じたらすみません)。
②単純にメロディーラインが胸に響いてこない(ただし、この第4番のように緩徐楽章に感動したことはある)
…ということである。もう②は致命的な気がするが。好きな方は、「それはこれまで聴いてきた演奏が悪いのですよ。チェリやヴァントをお聴きなさい」とおっしゃるかもしれない。でも、そういうものでしょうか?例えば、モーツァルトベートーヴェンを始めとしたほとんどの作曲家の音楽は、別に誰が演奏したものでも良い曲だと思えます。チェリやヴァントや朝比奈の演奏じゃなきゃダメな作曲家なら、それは曲自体に原因があるのでは…というのは、さすがに自分でも無茶苦茶だと思います。単なる恨み節です。
ブルックナーが「わかる」ようになる日は、いったい来るのでしょうか…。一緒に収録されているモーツァルトを聴くとホッとします。
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